小学生と中学生の頃にいじめられた話 いじめ保険

2019年の後半になり、
いじめ保険という保険が話題になった。

これは”いじめられたら→お金を貰える”システムではなく
弁護士に相談したり、証拠を掴んだりと
相手に対して注意や危機感を与える事の出来る保険である。

この保険については賛否両論であるが
いじめられる側の経験がある私は大賛成である。

いじめる側いじめられる側

いじめは恐ろしい。なぜなら、
いじめる側いじめられる側の意識が全く違うからである。

私の場合はいじめに加担1回
いじめられる側2回という経験があるが、
意識が全く違うため双方で話し合っても解決しない事が大半なのである。

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いじめる側の意識

私がいじめに加担した経緯は
ガキ大将Nが発端であった。

当時は、スポーツ万能秀才という誰しも憧れるカッコイイ少年S君がいた。
我々は常に彼に従い、ドロケイ&野球&高鬼など楽しんだのである。

このままならば平和だった・・・・

クズは存在する

しかしながら、社会と同じように
このような輪が出来ている光景を嬉しく思わない人間が存在するのである。

彼の名はN
彼は嫉妬して愚痴を言い、悪い事をしても他人の責任にするなど
ジャイアンやラオウのような”暴力を権力”として仲間を集めるタイプであった。

Nが起こした行動は、
S君派の人間を1人ずつ呼び、

N「ねぇ?最近Sの野郎は調子に乗ってない?
俺たちでチーム作って無視しようぜ」

と、S君以外の全員を勧誘したのである。

当然、中には不信感があったり
(私のように)拒否したい人もいただろう。

ただ、そこはジャイアン的な暴力を匂わせ
半分強制的にNチーム入りになるのである。

これが小学校4年生だから驚きである。
(ひねくれたガキがいるもんだ)

いじめが開始された結果・・・・

いじめの殆どは”無視”当時は”シカト”と言われる攻撃であった。

Nからすれば全てにおいて太刀打ちできないS君である。
全員で無視し続ける攻撃を選択した。

この後、どうなったのかというと・・
全員で無視をするため、段々とS君はノイローゼになり
最終的には学校に来なくなってしまったのである。(回復まで半年)

当時の私は何も考えず”いじめる意識”なんて全く無く
ただNに従うだけという漠然と生きる幼稚な性格であった。

しかしながら、いざ登校拒否になると
周りの生徒も「俺達はいけない事をやってしまったんだ!」と気づくことになる。
(おそらく自殺があってから我に返るいじめっ子が大半のはずだ)

当然、担任に我々が問い詰められることになるが
事の発端のNはしらを切り、”いじめは自然発生だった”と押し切ったのである。

このような事があったため、
いじめが終わってから卒業まで
S君は輝きを取り戻すことなく他の中学校へ進学した。

いじめられる側の意識

今度は自分がいじめられる番であった。

実はこの原因を作ったのもNだった。
とことん妬んでくる気持ち悪い性格である。
(いまだに近所に住んでいるので非常に不愉快)

小学5年生になると、男性は全くであるが
女子の方が”異性”を意識するようになる。

当時、私はボーっと生きていたが、
バレンタインになると10個前後のチョコを貰ったのである。

これ見たNは私に嫉妬し、
完全にロックオンされたのである。

私と女子の関係を探るために、
女子のカバンやノート、回し手紙などを覗くなどの行為が激しくなる。

この時のいじめ方の大半は、全部暴力ではなく(私はケンカが強い方だったので)
大勢で”無視する”&”恥ずかしい思いをさせる”などの攻撃が基本であった。

たとえば私が昼休みから教室に戻ると・・・

Nグループ「17はジグザグ~ラブレタ~~~♪」

と当時売れていたシブがき隊の
ラブレターの部分を大合唱するのである。
(懐かしの曲でテレビに流れると嫌な気持ちを思い出すトラウマに)

当時、大人の心があれば「ありがとう~!」なんて返しもできるが
恥ずかしくてそれどころではなくショックの方が大きい。

Nの狙いは重々分かっていた。
元々妬む事が趣味の人間である。

Nは「私が女子を無視したり嫌われてくれないかな?」と
私がモテなくなる事を願っていた筈である。

女子は大人であった

ただ、そこはマセている女子である。
男子の一連の流れを見ている女子は
このままNを放置しているとマズイと思ったのだろう。

当時は私と女子4人で
交換日記というものを回していたが

それに、NNの子分を誘う事で
平和を狙ったのである。

女子は凄い!

この結果、Nは(気を使われている事も知らず)
「俺もモテモテだ!」と上機嫌になり
数ヶ月に及ぶいじめが終わった。

もちろん、この交換日記が苦痛に変わったのは言うまでもない。

中学のいじめ

私は中学になっても、
ボーっと生きていて目的もなく無気力であった。

中学になると個性が見えてくる
・生徒の中には勉強が出来る者
・スポーツが出来る者
・中学(不良)デビューする者
・とにかく不良に憧れる者
様々な人間がいるが、

不良にとっては、
抵抗をしなさそうな私が獲物に見えたのだろう。
(こちらはなにもしていない迷惑もかけていない静かに登校しているだけである)

いじめる側の発想は単純であり
特に恨まなくても始まるのである。

反抗しなさそうな気弱そうなタイプを狙う

よくいじめる側にも原因があると言い訳をするが
仮にあったとしても”いじめ”として行動するのがおかしいのだ。

殴られた蹴られた

いじめの内容は、
・図書室に呼ばれて殴られる
・家にいたずら電話をかけてくる
・体育の時間にどさくさまぎれに踏まれる
などのなかなかの攻撃であった。

ただ、前にも書いたように
ボーっと生きていたので
”悩む事がなかった”のは自分にとって幸いだった。

また、いざとなればこちらの方が強い自負もあり
さらには仕返しをする心も自分には無かったのである。

担任がひどい

恐ろしいのはその時の担任である。

担任はチキンな性格で、
不良の言葉に涙目になる弱い先生であった。

ある日、担任が廊下を通りかかった時に
私が殴られていたがスルーして去ったのである。

この時、私と先生の目が合っていたのを今でも覚えている。

恨みは忘れない

人間の記憶というのは
嬉しい事も当然覚えているが、
嫌な事の方が断片的にでも確実に残っているものである。

因果応報という言葉があるが、
悪い事をしたら自分に返ってくるのは本当で
実際に復讐する者や嫌いな人は助けないなどの
どこかで”罰”が襲ってくる事になる。

あのNとは成人後、同窓会で会った事があるが、
その時も、(飲食店を開業した私に)
店始めたんだって?でも行かないけどねwwww
と攻撃されたのである。

当時と同じ腐った性格だったのを確認した。
(ちなみに彼はニートである)
復讐するまでもなくダメ人間になっていた。

強い心の源に

当時のいじめ嫌な奴との出会い
少年の心には重くのしかかることになるが、

この経験があったからこそ、

・相手が嫌がる事はしない
・自分の子供に何か変化が無いか?
・家族を大切にする
・Nの野郎をいつまでも恨み、
運動や仕事のモチベーション維持に繋がっている。

などの意識ができたのも事実である。

現在いじめられている場合は

今いじめられている子は親に相談したり、1人で悩まないようにしてほしい。
当時の私は”バカ”であったためにスルーできたが、
今の時代の子供は頭が良いばかりに悩んでしまうのである。

親側も手遅れになる前に、
子供のちょっとした表情の変化体に傷がないか?
など監視を怠らないようにしてほしい。

現に我が子も、少しモテただけでからかわれた時期があるが
自分に経験があったからこそアドバイスをしてスルーする事ができた。
(証拠をつかむためにランドセルにボイスレコーダーを仕込むのも有効だ)
今後何かあれば、どんどん親も関わって”本気”で戦うつもりである。
いじめる側が正しいなんてことは絶対にない。

いじめられている方は”正義”を貫き
対策を考え、親子で乗り切ってほしい!



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