「人間の脳は10%しか使われていない」
なんて言われる事がある。
クイズ東大王を見ていると
生徒のとんでもない記憶力に”10%説は本当かも”と感じてしまうものだ。
一方で、パチンコから→引退した経験がある私も
脳を少~しだけ使っているかもしれない。
「ちんこは適度に?」
いや違う
「ぱちんこは適度に楽しむ遊びです」
という言葉は2018年頃から広まった。
パチンコが原因で失業者が増え、
射幸性の煽りが問題になった頃である。
リカバリーサポートは、パチ関係者が金を出し合って作った機関であるが
依存症から抜け出せない方が使う駆け込み寺で
電話をかければ優しい言葉で対応してくれる。
パチンコを打つと視野が狭くなる
私がパチンコを止めた理由は、
単純に負けるからであり、ストレス解消どころか
益々ストレスを溜めて帰宅する繰り返しに嫌気が差したからである。
もちろん、パチンコ依存症が抜け出せないのには理由がある。
・パチンコで取り戻したい
・負けるけど悔しいので打つ
・他力本願(遠隔ズルい、運が悪い)待ちの姿勢
勝っても負けてもパチの事しか考えられなくなるのが
パチンコ依存症の恐ろしい所である。
負けてもホールに向かってしまう恐ろしさ
不満があればストレスの捌け口として
何かと理由を付けてホールに向かってしまう。
機械を相手にする事は”気を使うことなく自由になれる”世界であるため
逃げやすい(悪魔の)母的な存在なのだ。
ホールは、お金の損得を無視すれば、
誰にも監視されず自由になれる場所であり
いつの間にか”誰にも邪魔されない”居心地の良い第二の自宅になる。
勝てないと分かっていても足が向いてしまうのは
この安心感からくるものであり、勝つ自信が無いのに
開店前にソワソワしてしまうのだ。
一定期間の引退で意識が戻る
私はパチンコを”我慢することなく”自動引退する事が出来たが
その発端になったのは家族がしばらく入院し
”強制的にホールに行けない状況”になったからである。
当然、はじめの頃は行きたくなるが
1~2週間すると段々と避けていた現実が見えてくるのである。
ホールに通っていれば全く気が付かない
世の中の流れが頭の中に飛び込んでくるのだ。
世界情勢、政治、流行ものなど”どうでも良くなる”恐ろしさがある。
3週間以降は、他のやる事が見えてくるようになり
”今までの時間の無駄”を実感する。
毎日適当な位置で止めていた仕事も欲を出すようになり、
今までホールに居た時間を家族に使うと、
家庭の全容を掴め、家族に不満が無いよう気配りも出来るようになる。
そして4週間を過ぎれば
「今まで何と無駄な時間を過ごしていたのだろうか?」
というお金よりも時間の無駄に後悔するのである。
依存症の方が引退する場合、
「よほどの我慢が必要なのだろう」と考えてしまうかもしれないが
私の場合は、フッ・・・と興味がなくなり
激熱や新台に興味を示さなくなった。
代わりのストレス解消はどうするのか?
私の場合、タバコも酒もやらない。
自身のストレス解消法と言えば、スパや旅行、マッサージであるが
旅行は気楽にできないし、自宅周辺にスパは無い。
最近は競輪を楽しんでいるが、同じ賭け事でも
全く違うギャンブルである事に気が付いたのである。
パチンコはホールに行かないとならないため
その間は仕事をする事が出来ない。
しかしながら、公営競技となると
自宅や外出先で”投票”出来るのは大きなアドバンテージとなる。
仕事の邪魔をしない競輪
私は仕事が好きで、1日12時間以上勤務する事が多い。
そんな中、PCの片隅で投票できる競輪は、
時間を無駄使いしないという点で便利であった。
「ギャンブルからギャンブルに移行したら同じでは?」
と思うかもしれないが、私の場合は全然違った。
・競輪は時間を使わない
・パチンコで負けた経験があるからのめり込まない
・勝とうと意地にならない
・引き分けを狙う
はじめから競輪ならば暴走するかもしれないが
パチンコで惨敗経験を積んでいるので無駄な投資をしないのである。
投資を減らすと負けが少なくノンストレス
ライブ予想番組では、10~24点ほど提示するが絶対にこれでは勝てない。
我々を破滅させる罠である。
もちろんはじめの頃は、
初心者な故に5~10点程度買っていたが、
負けた経験値というものは糧になる。
1つしか的中車券が無いのに何点も買うのは無意味。
パチンコというのは大ハマりやまくりを狙っている時には
大きなストレスがかかるが、これは単に金額の多さだけではなく
【+長時間当たらない苦しみ】が作用してる為に、投資が止まらなくなるのである。
競輪はレースの区切りがあるので切り替えやすい
競輪をはじめて4ヶ月ほど経過すると、
・投資は最小限
・1レース1~3点以内
・100円単位
という負けにくい(1パチ的な)行動をとるようになる。
これが非常に(精神的に)具合が良い。
あくまで競輪は”癒し”に位置させたいために
「増やそう」なんて考えたらドツボにハマる。
これぞ「適度な遊び」だろう。
選手を覚えるなんてことをしても成績は上がらない。
あえて深く考えないように賭けるのがコツだ。
投資が少なければ、
落車しても想像した動きをしなくても怒りも沸かない。
上から目線で笑って見る事が出来る。
1点買いが至高
更に最近は、1点買いに拘りはじめ
益々投資額が減った。
1点買いなら全滅は当たり前であるが、
毎日当てようとする欲を消せばなんてことはない→いつかは当たる。
当たらない事なんてパチンコで慣れているはずだ。
全然ストレスなんか堪らない、また明日でいい。
おそらく、私の様に賭けている方は
(給料の一部を預金しながら)競輪(マイナス)を楽しめている事だろう。
もちろん競輪自体の回収率はマイナスだが
点数が少なければ、どんな趣味よりも安上がりになる。
全12レース1点勝負
とある日に1点で遊んだ結果である。
適当に10分以内にナイターを1点買いで仕込んだ結果である。
全部ハズレても-1200円で済む。
人間は大きな脳みそを持っている故に
嫌な経験を次に生かす事が出来る。
パチンコがやめられない人も、周りをよく見れば
「なんでこんなムリゲーにムキになってるんだ?」と目が覚めるはずだ。
競輪→どこでもできる→当たれば即入金
単にこれだけでもパチンコが如何に
現代向きではないと理解できる。
「ジジババが当たってズルい」のではなく
彼らは現代の遊びを知らない可哀想な側なのだ。
もっと当てて楽しんでほしいと考えるのが通常だ。
自ら”視界”を広げなければ引退は出来ない。
パチというクソな世界で留まらないようにしてほしい。