【吉見百穴】東松山駅から歩いて行った結果【横穴墓群】川越観光自動車

埼玉県比企郡吉見町にある
古墳時代後期の横穴墓群の遺跡、
吉見百穴を見てきた。

吉見百穴の読み方は、
始めは”ひゃっけつ”だと思い込んでいたが
現地の案内チラシには”ひゃくあな”と記載されていた。

ただ、親の話によると「昔はひゃっけつと呼んでいた」そうで、
改めて調べてみると、よしみひゃくあな/よしみひゃっけつ
両方の読み方でグーグルに登録されていた。

出来るだけバスに乗ろう

東松山駅からバスが出ているが
生憎、行ったばかりだったので徒歩にて向かってみた。

駅からっは真っすぐであるが、
1キロ少々あるので真夏や真冬の徒歩は避けた方が良いだろう。

バスで行けるといっても、
実は入口の目の前までは行ってくれない

「百穴入口駅」からは、300メートル程歩く必要がある。
(川を越える)

市野川看板の奥に吉見百穴が見えるが、
この付近がバス停なだけに、その距離感が伝わるだろう。

駐車場完備

橋を渡り百穴に向かっていると駐車場が見えてくる。
閑散としているのかと思ったが、多くの人で賑わっていた。

吉見百穴入場口

入場料は大人300円、小学生200円とリーズナブルで
とても親切なおばあちゃんが優しく対応してくれた。

また、この受付では”吉見町のマンホールカード”が貰えるので(数量限定)
子供は喜んでくれるだろう。

受付を抜けると、休憩所と売店が見える
ここではラーメンを食べる事が可能だ。

そして、左手にも売店があり
手打ちの二八そばが堪能できる。

うどん そば だんごのメニュー

吉見百穴を登る
拷問観光

吉見百穴の探索方法は山を登る事である。
山を登りながら各穴を覗き込むのだ。

特に我々は10キロ散歩をした直後であり
トドメの階段がなかなかの拷問であった。

特に高齢者は注意が必要だ。

階段は石で出来ている為、ガタガタしておりとても不安定だ。
また、手すりが無い箇所もあり十分に気を付けてほしい。

百穴と言っても、厳密には219個の穴がある。

吉見百穴とは?

「百穴」の名が文献にみられるのは今から約二百年前からで、
江戸時代の中頃には「百穴」の呼び名も生まれ、
不思議な穴として興味をもたれていたと思われる。
吉見百穴が科学的に検討されだしたのは明治になってからで、
內外の著名な考古学者によって調査が行われ、
横穴の性格をめぐってさまざまな意見が発表された。

明治二十年、坪井正五郎氏(当時東京大学院生)によって大発掘が行われ、
人骨、玉類、金属器、土器類が出土した。
坪井氏はこの横穴を土蜘蛛人(コロボックル人)の
住居として作られたもので、のちに墓穴として利用されたものであると発表した。
しかし、大正時代になると、考古学の発達によって、
各地で横穴の発見、発掘がなされ、出土品や横穴の構造から、
この横穴は、古墳時代の後期に死者を埋葬する
墓穴として作られたものであることが明らかにされ、
「住居説」は、くつがえされることとなった。

そして、大正十二年には、
「吉見百穴」は我が国の代表的な横穴群として、
国の史跡に指定された。
戦時中、横穴群のある岩山に地下工場の建設が行われ
数十基の横穴がこわされたが、戦後、吉見百穴保存会が結成されて、
積極的な保存管理が行われ、昭和三十六年には、
吉見村が管理者となって引続き管理がおこなわれ
今では「吉見百穴」は多くの人々に愛され親しまれる史跡となっている。

また、最低部の二つの横穴に、
底や壁からかすかな緑色の光りを発しているヒカリゴケがある。
このコケは、山地に多く、平野にあるのは、
植物分布上、きわめて貴重とされ国指定天然記念物となっている。

頂上からは山々が見える

頂上には丸太の椅子が置かれ
目の前に広がる山々の名称が解説されている。


この日は残念ながら富士山を見る事が出来なかった。

吉見町埋蔵文化財センター
体験学習事業

また、隣接する吉見町埋蔵文化センターでは
勾玉や埴輪作りを体験する事が可能だ。

勾玉・・・・350円
琥珀勾玉・・1500円
埴輪土器・・500円

しかしながら、現在はコロナ禍のため
営業時間等に注意してほしい。

百穴温泉

帰りには、百穴温泉という古い看板を見つけた。

調べてみると百穴温泉春奈という露天風呂が過去に存在していた。
(現在は閉業)

アクセス

吉見百穴
よしみひゃくあな/よしみひゃっけつ
住所:〒355-0155 埼玉県比企郡吉見町北吉見327
営業時間:8:30~9:00

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コメント

  1. 匿名 より:

    拷問w