【撤去】太宰治が愛した三鷹跨線橋が撤去されるので最後に見てきた【いつ?】

太宰治は昭和14(1939)年9月に三鷹の住民となり、
昭和23年6月に亡くなるまで「三鷹村(町)下連雀113」で過ごした。

南北に分断された地域をつなぐ生活道路として
三鷹跨線橋は1929(昭和4)年に鉄道施設として作られ
地域の人たちに利用されてきた。

この跨線橋は1939年から暮らした太宰治が好んだ橋として
階段の下に写真付きで紹介されている。


<太宰治が生きた町>
中央線の上にかかる陸橋に友人を案内することもありました。
この陸橋は、1929(昭和4)年に竣工した当時の姿を今も留めています。

太宰治が三鷹で撮った写真が残るなど、文化的な価値も高く
軽くグーグルマップを見ても、
・太宰治サロン
・太宰治記念碑
・太宰治墓
と、三鷹には太宰治の歴史がたくさん刻まれている。

三鷹跨線橋

三鷹跨線橋は、三鷹駅から徒歩7分ほどで到着するが
”昔のままの階段”でボコボコしていてイイ感じだ。

周りを見れば、
・子供と電車を見にくる親子
・写真を撮りに来る電車マニア
・友人に電車が見えるスポットだと教える人
などなど、跨線橋の上では終始”ほっこり”な空気が流れている。

偶然話を聞けた老夫婦は、
「跨線橋が無くなるというので最後に見に来た」と言う。
なんだか悲しい・・・・

太宰治のみならず、
多くの人生に関わっている”三鷹跨線橋”は
思い出の詰まった橋のようだ。

どうして・・
なぜ壊してしまうのか?

元々、この橋の持ち主はJR東日本であるが、
年間の維持費が、平均3500万円かかるという・・(本当か?)

その結果、市に譲渡したい意向を伝えたが
・橋の老朽化問題
・改修工事が必要
・改修工事をすると文化的価値も損なわれる
として、市から断りを受けた。

そして、JR側は取り壊しを決め、
”一部階段を保存する”&”VRで残す”などの対策をするという。
(撤去時期は未定)

しかしながら、流れを見ていると利用者はとても多く
誰もいない時間が”ほぼない”くらいに人気であった。

どうにか撤去せずに”耐震工事をする”手段は無いのだろうか?

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コメント

  1. 匿名 より:

    それだけ地域の方に愛されてる、歴史を感じることのできる場がなくなってしまうのは悲しいですね。

    それこそ募金とかクラウドファンディングのようなものは無理なんでしょうかね( ; ; )

  2. 匿名 より:

    残してくれぇい!

  3. 匿名 より:

    寂しすぎるわ